卒業30周年 旭丘高校24期同窓会

2002年7月13日、キャッスルプラザホテル名古屋

坂元 眞一

 ワールドカップサッカーもブラジルの優勝で終わったが、日本人にとっては、 うれしさのあまり走り回るブラジルチームよりは、むしろ、敗戦チームの雄、ドイツのゴールキーパー、 Oliver Kahnが、補給水を地面に投げつけ、ゴールポストの寄りかかって、ひと時、物思いにふける姿のある種のリリシズムの方に、感じることが多かったことであろう。 一ヶ月にわたる祭りの後の何か腑抜けた感覚を、24期生はひと時忘れることができた土曜日の夜であった。(ただし、“燃え尽き症候群”になるような歳ではないが)

24期の同窓会としては、卒業25周年を記念した第1回目に引き続きの2回目、 30周年記念とタイトルして開催された。代表幹事は301の高木浩司氏。前回参加できなかった筆者は、 やや出遅れた気分で会場へ向かった。 一種の緊張感。茨城県南部に住む私にとって、 名古屋は意外に遠い地である。 昼ご飯を早々に済ませ、バス、電車を乗り継ぎ、 名古屋へ。この前、名古屋駅で下車した時は、まだ、 大工事の真っ最中、 あの「タワーズ」には、「浦島太郎」気分を覚えつつも、反対側の「大名古屋ビルング」 の 看板があるを見つけては、何か、ほっとしたものを覚えた。変わらないね、 あれは。

 会場であるキャッスルプラザホテル名古屋には、やや早めに着いたため、受け付けの準備はまだ完全には終わっていなかった。 受付に並ぶ懐かしい顔を見るや、それまでの緊張感は溶けてなくなった。 そうするうちに、 続々と人が集まり始めた。 ほとんどが30年ぶりの人、昔の面影がよく残っている人、 全く見当もつかない人、 早速、あちこちで名刺交換が始まった。やがて、忠公の登場、一時は生死の境をを彷徨った人には見えない 全く元気な 姿で颯爽。 そして、体育の安川先生も登場、少し腰を痛められて杖をついておられたが、 忠公の一回り上という年齢は感じさせなかった。 重大な事実が、後のパーティ会場で安川先生から明らかに なるとは、 その時は予想だにしていなかった。

 会場となったホテルキャッスルプラザ名古屋では、他にもいろいろな 会合が開催されていた。 偶然居合わせた卒業生も、受付付近に混ざっていた。我々の2つ上、 22期でも忠公は301の担任を していたが、その一人が忠公に挨拶に、 また、隣の部屋での会合に参加していた、 一つ下の25期の女性も現れ、思いがけない 再会となった。25期も最近、同期会をしたそうだが、 隣の期との合同の 会合もやりたいねと、思わず話が盛り上がった。

 そうこうしているうちに、開始時間の午後6時となった。参加者全員は主会場とは別の部屋に向かった。同期の山田春木氏の講演を拝聴するためである。こじんまりとした部屋では、まず、幹事の高木氏から、旭丘高校の同窓会会長があり、挨拶があった。というのも、「旭丘の同窓会も、今年の3月で、第54期生を迎え、数、年齢層の開きも大きく、なかなか、全体として動きにくい。同窓会の活性化は、まず、個々の期の活性化からということで、同期会開催に対しては、援助を行うことになっている」とのこと、そこで、会長から高木氏へと、援助金が手渡された。

 前置きが長くなったが、山田春木氏が紹介され、記念講演「50歳の為の、医者、病気との付き合いの秘訣」へと、駒が進んだ。一般人相手の講演には慣れているとみえ、人の興味を引き付ける話し方と導入、話の展開や時間配分、予め聴衆には話の要約が配付等等、流石と思わせるものがあった。「40代までは若さがカバーしてくれるが、50代移行は個人差が大きくなり、“自分並”の尺度がキーワード」という話から始まった。その良い例がアルコールとの付き合い方と、その後に控えた酒の宴を前に、なかなか的を得ていたのだろう。「“一日2合まで、休肝日2日”という合言葉が一人歩きし、誤解を招いている」ということで、いくつかの例が紹介された。「赤くなる人は、かって赤くなった人は6倍のハンディキャップ、女性はさらに2倍のハンディキャップ」という結論に、納得する者、意外と思いをめぐらす者、様々。30分という時間は、あっという間に過ぎ去ってしまった。今日の講演の詳細、他の例は、山田氏の著書「こわい病気のやさしい話」(文春新書、700円)をお読みくだされ、という事で、会場でも販売、持参した80部は完売した。

 さて、参加者はメインの会場に移動、酔っ払う前に記念撮影、ということで、全員ひな壇に並ぶ。6名の恩師、110名の参加者、かろうじて一枚の写真に収まるサイズらしく、写真屋の細かな指示が続く。「半歩左へ」などど神経質なまでのお願いに、ややブーイング。やっと収束しかけたと思うや、最後の駆け込み参加で、3名あまりが追加。また、整頓にやり直し。いろいろ、あったが、無事、記念撮影も終了。1300円と高めの設定だが、折角と写真購入をする者が多かった。

 お待たせしました。やっと、メインエベントの開始です。12の丸テーブル、恩師と11のクラスという割り振り、クラスにより、多少、込み合っているテーブルがあったが、適宜、恩師のテーブルに分散して着席となった。司会の高木君の紹介で、現役の旭丘高校弦楽部の登場。我々の時代にはなかったクラブである。やや、隔世の感があるが、現在、旭丘高校で教師を務める高橋幸則君から、最近は女子生徒の人数の方が多いと聞くにつけ、時の流れを実感せずにはいられなかった。30年というのは、そういうものであったのかもしれない。失礼とは知りつつも、彼らの演奏は、食事のBGMということにして、乾杯の音頭を、国語の石川仁道氏にお願いした。「本日駆けつけた恩師のなかで、唯一現役の教師である」ことを強調、我々が高校生のころ、まだ、大学を出てまだ何年も経っていなかった仁道氏である。「乾杯!」

 そして、クラシック音楽の演奏とともに、それぞれのテーブルで、話が弾んでいった。モーツァルトの「Eine Kleine Nachatmusik」。30年ぶりの人もあり、折角の生演奏も、ほとんど耳に入らない状態の人も多かったように見受ける。演奏してもらった現役生には、やや申し訳なかった。

 

 話も一段落したころも見計らって、司会役の高木君は、恩師に「一言をお願い」に入った。まずは、我が山忠会代表の浅井先生。近況、病気のこと、・・・すいません、保健の授業のように、あんまり聞いてませんでした。

 

 次は、英語、私はコンポジションの授業をしていただいた、岡田先生。完璧なほどの英作文に、歯が立たない思い出ありました。

 

 さて、体育の安川先生、一時期、名電工で教鞭をとっておられたとのこと、その中に、鈴木一郎君、そう、後のイチロー選手がいたということを、懐かしがっておられました。そして、301のテーブルに体を向けて、「私がいなかったら、301のみなさんは卒業はできていなかった」と、物騒な発言が飛び出してきました。301のテーブルは、一瞬静寂が。安川先生は続けました。当時、安川先生は忠公先生と同じクラブハウスの職員室分室にいらっしゃいました。「浅井先生は、午後になるとそわそわとして、授業時間が終わると急いでグランドに飛び出す毎日、ですから、事務的なことは、全部私が肩代わりしていましたよ。そう、301の皆さんの成績は、全部知っていますよ。」 うむ、さもありなん。そういうことだったのですね。そう言えば、大学受験の志望校をきめる父兄面談にも、安川先生が立ち会ったおられたことを覚えています。これからも、お元気で。

 

 そして、地理の「ヨッチン」こと、吉田先生。例の、巻き舌で、カタカナの地名をまくし立てる、その一節をご披露いただけました。超懐かしい!

 

 これが、301の参加者、マイナス2人、プラス山田春木氏です。

 閉会の挨拶の高木氏。今回の返信葉書に記入のあったe-mailのアドレスをもとに、24期のメーリングリストを8月中に開設することを公約。その下請けは私がやることになりました。今年の初めには、24期のホームページ開設の話もあったのですが、具体的な話にはならずにいました。それに向けての第1歩として、動き始めました。次回の24期会は、5年後、そこで、またお会いしましょう、ということで、閉会しました。

 そして、2次会は隣の部屋で。やや、殺風景な部屋の同じような丸テーブルがいくつか並べられていました。三々五々移動。今度はクラス別ではなく、気の会った者同士が話の続きを繰り広げていました。私は、仁道先生としばらくお話を。「新聞部の坂元です」という言葉で、思い出していただけ様で、昔話にスーッと入っていきました。あの厳しい時代の話だけでなく、それと対比するするように、現代若者論にも及び、価値判断の基準がない、この時代は、若者にとっては、別の意味での厳しさがある云々。久しぶりの仁道先生との「討論」に、懐かしさがこみ上げてきました。一方、仲間内の間では、当然、仕事の話、経済の話、健康の話、欠席者の近況など、話はつきませんでした。その中には、ホームページの話も。山忠会のホームページは、当然、皆さんご存知で、他のクラスでも立ち上げたいという気持ちはあるんですが・・・という状態をいくつか耳に入ってきました。302は、具体化してきているようで、相談に乗って欲しいと、依頼が舞い込んできました。そういう話を聞いているうちに、高木君の公約のメーリングリストを手始めに、24期のホームページの構想が、うっすらとではありますが、沸いてきました。まずは、メーリングリストを立ち上げ、「始めの一歩」を。

 そうこうするうちの2次会もお開き、ホテルのロビーでは、3次会の相談。高木君の慰労を兼ねて、301の5人は栄方面に繰り出しました。本当に、高木君、ご苦労様でした。

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